「・・・ウィル・フェレルの映画の予告編を思い出した。その予告編では、フェレルがナレーターの声を聞くのである(・・・)『OK OK』はこのコンセプトと戯れることからはじめ、そしてそれを完全に解体する。その過程で、参加者の間に不気味な共犯関係が作り出され、一人一人が、どんどん自己意識を獲得してゆく生き物の触手となってゆく」
「・・・ウィル・フェレルの映画の予告編を思い出した。その予告編では、フェレルがナレーターの声を聞くのである(・・・)『OK OK』はこのコンセプトと戯れることからはじめ、そしてそれを完全に解体する。その過程で、参加者の間に不気味な共犯関係が作り出され、一人一人が、どんどん自己意識を獲得してゆく生き物の触手となってゆく」
photos - Richard Lahuis
「OK OKは気取らない、しかし洗練された異色作である・・・観客は自分自身や同席者との対話、デジャヴュ、思考にからめとられてゆく」
Volkskrant紙(オランダ)
観客自身が演じるミニマル・コメディ。約45分。一回につき参加者4人が同時に演じます。
席に着いた参加者は、手渡された台本にあるハイライトされた部分を声に出して読みます。「ただ台本に書かれているテキストを声に出して読むだけ」で、4人の間でしかるべき意味と意図が生成されていきます(「演じる」努力や発音の正確さなどは要求されません)。
おのずと発せられる言葉は、準備なしにテキストを読むことを要求されれば誰もが抱くかもしれない疑惑、好奇心、不安を含んだ表現となります。
瞬間ごとに、テキストが読み手の思考を先取りしているように感じられます。そのため、台本が不気味な「生きた」物体 ― 読まれると同時に書かれているテキスト ― のように感じられ、しばしば不思議な感覚を呼び起こします。作品が進行し展開するに連れて、この感覚はゆっくりと蓄積してゆき、意外な結末が導かれます。
『OK OK』はアント・ハンプトンのティム・エッチェルスとのコラボレーション『The Quiet Volume』に続く作品で、前作とは異なり、声に出しながら書かれたテキストの奇妙なポテンシャルを探求し、それ自体の生命と空間を確立します。
オーディオ装置やヘッドホンを用いない最初の「自動演劇(Autoteatro)」作品である『OK OK』は、印刷されたテキストを「テクノロジー」の等価物として用いていると言えます。ヘッドホンなどの記録/再生機械よりずっと古いとはいえ、それらを用いた作品よりも、このテキストがもつ構造の透明性は高くなっています。なぜなら、全員が同じ台本を持ち、それぞれが言っていることを読めるからです。
作品のなりたち:
2007年、ヘルト=ヤン・スタムは、ヴィジュアル・アーツから離れていた時期に、戯曲を書いた。上演の前と後に、ある女性が彼のところにやってきて台本のコピーが欲しいと言った。何のために欲しいのかと尋ねると、彼女は家で家族とその戯曲を演じてみたいと答えた。
この要望に驚くと同時に関心を持ち、スタムは誰もが「自分の家でくつろいで」演じることのできる戯曲に取り組みはじめた。さらに、リハーサルが不要であることが重要だった。彼は2010年にアイルランドのレジデンシー・プログラム「 MAKE」に参加した。このプログラムは15人のアーティストを招いて3人のメンターとともに作品に取り組む機会を提供するというもので、その年のメンターの1人がアント・ハンプトンだった。「 MAKE」の後、ハンプトンはスタムに「自動演劇(Autoteatro)」の文脈でこの作品に一緒に取り組まないかと提案した。2011年3月に、この作業をさらに進めるための機会として、トム・ボンテは彼のフェスティバル「The Game is Up!」で2人にブールト・アートセンター(ベルギー、ゲント)でのレジデンシーを提供。ダブリンのプロジェクト・アーツセンターの資金援助も受け、この作品が実現した。
OK OK
All upcoming dates here
German version: Karen Witthuhn/ Transfiction
Creative production: Katja Timmerberg